【映画考察】『ラストマイル』──「止まれない世界」で、それでも人を信じたかった。
※本記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
導入:観終わったあと、静かに呼吸を取り戻した。
上映後、席を立てなかった。スクリーンの向こうで、満島ひかり演じる舟渡エレナが最後に言った一言──
「爆弾は、まだある。」
その声は事件の余韻であると同時に、僕たちの社会そのものが止まっていないことを示す“警告”のように響いた。『ラストマイル』は単なるサスペンスではない。“効率化”という名の暴走を描く、現代の鏡だ。
作品概要・背景
- タイトル:『ラストマイル』
- 公開日:2024年8月23日
- 監督:塚原あゆ子
- 脚本:野木亜紀子
- 出演:満島ひかり/岡田将生/中村倫也 ほか
- 主題歌:米津玄師「がらくた」
- 世界観:『MIU404』『アンナチュラル』とシェアードユニバース
野木×塚原コンビは、社会構造の“見えない歪み”をあぶり出す名タッグ。『アンナチュラル』が“死”、『MIU404』が“正義”を照らしたように、本作が射抜いたのは「働く」と「止まる」の境界だ。
あらすじ(※ネタバレ注意)
ブラックフライデー前夜、全国の通販荷物が次々と爆発する事件が発生。物流センター「西武蔵野ロジスティクスセンター」を率いる舟渡エレナ(満島ひかり)と新人マネージャー梨本孔(岡田将生)は、混乱の中で原因を追う。
やがて事件は、1年前に起きたセンター長・山崎佑(中村倫也)の転落死に繋がっていく。彼のロッカーには、「2.7 m/s → 0」「70 kg」という謎の数字が残されていた──。
ロッカーの数字が語る「止まる勇気」
2.7 m/s → 0
70 kg
この数値は、倉庫のベルトコンベアの速度と耐荷重を示している。「2.7 m/s」は人間をも飲み込む速度、「70 kg」は成人男性の平均体重規模。「→0」は、止めるという意思表示だ。
山崎は、過酷な現場の中で「人が壊れる速度」を数字に託した。止めたくても止まれない社会で働くすべての人への、静かなSOSでもある。
犯人と動機:正義の形を見失った先に
真犯人は筧まりか。彼女は恋人・山崎の遺志を「事件」として継いだ。極端な手段=爆破を選んだのは、誰も気づいてくれなかったから。彼女にとっての“爆弾”は、社会全体へのメッセージだった。
野木脚本の肝は、誰か一人を悪者にしない設計だ。観客に突き付けられるのは「あなたなら止まれるか?」という問いだけである。
タイトル解釈:「ラストマイル」とは何か
“ラストマイル”は物流用語で「配送の最終区間」。本作ではその意味が比喩として拡張され、人間が「システム」と「現場」の狭間で消耗していく最後の一線を指す言葉へと変貌する。
つまり──「ラストマイル」とは、人が人であることを保つための“最後の距離”だ。
効率化の果てで
物流・アルゴリズム・自動化。便利さの裏で、誰かの時間と身体が削られている。コンベアを止めることは利益の損失を意味するから、誰も止めない。だが本当は、止めなければいけない瞬間がある。
“動き続けること”が目的になった社会は、もう壊れ始めている。
観終わったあと、誰かに話したくなる理由
『ラストマイル』の凄みは“余白”にある。ラストで舟渡エレナが告げる「爆弾は、まだある」。それは物理的な爆弾ではなく、社会の構造そのものを指している。
彼女が見上げた先には、まだ動き続ける世界。見届けた観客自身が「次の走者」になってしまう感覚──その 引き継ぎ が、静かに胸を刺す。
まとめ:「0」を選ぶ勇気を。
『ラストマイル』は、システムの中で“人であること”を取り戻そうとする映画だ。数字で言えば「→0」。それは停止ではなく、再起動のための静止かもしれない。描かれていたのは物流でもテクノロジーでもない。止まれない僕たち自身の姿だ。



コメント