おんなじ空なのに、満ち足りていくのはなぜ…
家族とただ空を見上げていた時間が、胸の奥まで静かに満たされていきました。
禅には「足るを知る」という言葉がありますが、あの瞬間はまさにその意味を身体で理解したような体験でした。
忙しさの中で忘れていた“すでに満ちている”という感覚が、不意に戻ってきた日。
この一瞬を忘れたくなくて、言葉としてそっと残しておきたいと思います。
おんなじ空なのに、満ち足りていくのはなぜ…
今日、家族で公園の芝生にシートを敷き、寝転がって空を見ました。
真っ青に広がる空をただ見上げていただけなのに、その時間が驚くほど満ち足りていました。
風の音、子どもたちの気配、芝生の柔らかさ。
何も起きない、どこにも行かない。
それなのに「生きる」と「死ぬ」のあいだにある静かな場所に、ふっと着地したような感覚がありました。
胸の奥がゆっくりと温かくなっていきます。
同時に、少しだけ怖くもなりました。
この時間が永遠でないことを知っているからです。
家族と空を見ているだけのこの一瞬と、いつか別れなければならない現実。
その儚さが、かえってこの時間を尊いものに見せていました。
普段こんなふうに感じることはあまりありません。
でも最近、ときどき胸の奥がふっとほどけて、大切なものの輪郭が見えるような瞬間があります。
秋から冬へ向かう空気は、心の奥にしまい込んでいた感情を静かに浮かび上がらせるからでしょうか。
家に戻ると、また日常の自分へ戻っていきます。
もっと時間がほしい。
もっとお金が必要だ。
もっと頑張らなきゃ。
そんな“欠けている感覚”が、ふたたび当たり前の顔で迫ってきます。
あの青空の下で感じた満ち足りた気持ちは、指のあいだから砂のようにこぼれていきます。
そのもどかしさもまた、人間らしさなのかもしれません。
人間とはなんて不安定で、不完全で、そしてなんて愛おしい生き物なのでしょう。
ふと思いました。
今日のこの気持ちを言葉にして残したい。
誰かに届いたらいいな、とも思いたい。
そんな願いは傲慢でしょうか。
いや、きっと違います。
これは誰かに誇示するための気持ちではなく、ただ分けたいだけなんです。
拾い上げたきれいな石を誰かにそっと見せたくなるような、そんな小さな衝動。
ただ空を見ていただけなのに、今日の空は僕にいくつもの気づきをくれました。
その気づきは、明日には薄れてしまうかもしれません。
でも忘れてもいい。また思い出せばいい。
青い空は、いつだって僕たちの頭上に広がっているのだから。
今日は、生きていてよかった。
小さな幸せが心に触れたとき
小さな幸せが心に触れたとき、その感覚は誰かの人生にもそっと灯るかもしれません。
今日感じた空の青さが、どこかで誰かの心にも広がったら嬉しいです。


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