フジロックは人生だった 〜SEE YOU NEXT…いつかまた、苗場で会おう〜

フジロックは人生だった
〜僕を変えた旅と出会い〜

今、苗場でフジロックフェスティバルが開催されている。
そのニュースに触れたとき、僕の胸に鮮やかによみがえった記憶がある。
30代前半、独身だった僕が初めて体験した、人生を変えるような旅──それが、フジロックだった。

出会いはTシャツから始まった

あれは20代の頃、派遣社員として働いていた職場でのこと。
ある日、年上の同僚Uさんが僕に声をかけてきた。
「レゲエ好きなん?」──僕が着ていたボブ・マーリーのTシャツを見て、関西弁で話しかけてくれたのだ。

「はい!ボブは神様です」と答えた僕に、Uさんはニコリと微笑んだ。
その瞬間、僕は直感的に「この人とは気が合う」と思った。

Uさんは筋金入りのフジロッカーだった。フジロックを「聖地巡礼」とまで語っていた。
職場を離れたあとも僕らの交流は続き、木曜日の夜には飲みに行くのが習慣になった。
その飲み会には「ブラックサーズデー」という、意味のないけどカッコいい名前が付いていた。

苦難の旅、そして始まりの年──2009年

その年、忌野清志郎さんが亡くなった。
Uさんは、「久々にフジロックへ行く」と言い、僕を誘ってくれた。
広島から苗場まで、僕の軽自動車で向かう旅。フジロック最終日のみの参戦だった。

ところが、出発早々、兵庫の六甲山でアクシデント発生。
「ビョン!」というゲームのジャンプ音のような異音の直後、車が止まった。

バッテリーがダメになり、修理が必要だと言われたときは正直パニックだった。
それでもUさんは落ち着いていて、整備士さんも「午後まで待ってくれたらなんとかします」と言ってくれた。
奇跡的に修理は完了。予定より大幅に遅れたものの、夜には苗場に到着できた。

踊り狂う初日、そしてWEEZER

翌朝、会場に着いた僕は完全に圧倒された。
山中に突如現れる巨大ステージ、魅惑のフードエリア、木の板でできたボードウォーク。
そこはまさに“非日常”の世界だった。

STREET SWEEPER SOCIAL CLUBのライブ。
その音とエネルギーに僕の脳内は完全に覚醒。
雨に濡れ、泥に足を取られながらも、ただただ音楽に身を委ねた。

夜、グリーンステージでは待ちに待ったWEEZERのライブ。
Uさんはいつの間にか隣にいて、一緒にその瞬間を迎えた。
右手に握ったハイネケンのカップは空になり、
びしょ濡れのTシャツとは裏腹に、心は満ち足りていた。

フジロックの哲学──「自分のことは自分で」

Uさんが教えてくれたフジロックの心得がある。

  • 自分のことは自分で
  • 助け合い、譲り合い
  • 自然を敬う

初参加の僕は、Tシャツにジーンズ、コンバース、ナイロンパーカーだけという軽装で挑んでいた。
情報も装備も不足していたが、現地でその“教え”の意味を体感した。
過酷な自然の中で、それぞれが責任を持ち、尊重しあいながら楽しむ場所。
それがフジロックだった。

SEE YOU NEXT 2010──そして未来へ

WEEZERの余韻を味わいながら、仲間たちと基地で輪になる。
すると、木陰からUさんがひょこっと現れてこう言った。
「そろそろ帰ろか?」

帰り道、会場外でジャンケンして、負けた人が一杯奢るという遊びをした。
僕はモスコミュールを飲んだ気がする。

「SEE YOU NEXT 2010」
その言葉が、ただの決まり文句ではなく、再会への願いであることを初めて知った。

フジロックは人生だった

その後、2012年までUさんと毎年苗場へ通った。
装備は年々グレードアップし、参加日数も増えた。
最後に参加したのは2015年。あれから10年──今も苗場はフジロッカーたちの聖地だ。

いつかまた、今度は家族を連れて苗場へ行くことが、僕の夢の一つだ。
そしてまた、どこかのフィールドで、Uさんにひょこっと再会できる気がしている。

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