誇りは、学びのその先にあった
── 戦後80年、僕が見つけた「日本人としての自分」
戦後80年の今年、自分の人生の節目でもあるこの時に、
“日本人としての誇り”を改めて見つけ直した僕の気づきを、ひとつの記録として残しておきたいと思います。
1. 戦後80年、僕も転職という節目に立って
今年で戦後80年。そして僕は45歳を迎える年。
人生が今どこまで来ているのかはわからないけれど、大きな岐路に立った。
15年間勤めた仕事を辞めた。自分を諦めないために。
そして愛する家族の笑顔を守るために。
この「無職」という時間を、ただの空白では終わらせたくなかった。
自分自身を見つめ直し、日本の歴史、特に大東亜戦争と戦後の日本について、僕の中にあった“歴史の違和感”と向き合う時間にした。
何者でもない自分を、きちんと愛して、誇りを持って、前を向いて歩いていけるように。
2. 広島で育ち、祖父母から聴いた戦争の記憶
僕は広島で生まれ育った。幼い頃から、平和記念公園や資料館への遠足、夏休みには地上波で放映されるジブリ作品「火垂るの墓」を通じて、戦争と向き合う機会が多くあったように思う。
祖父は軍人だったが、8歳の時に亡くなったため、戦争の話は聞けなかった。
しかし祖母からは、空襲警報、真上を飛ぶB29への恐怖、食糧難で芋の蔓しか食べられなかった話など、当時の様子を何度も聞かせてもらった。
学校では「戦争を始めたのは日本」「敗戦国として無条件降伏した」「日本は加害者」というような教育を受けていた。
その中で、自分の国に対して、どこか申し訳なさを感じていた自分がいた。
ただ、心の奥に、言葉にできない“違和感”がずっと残っていた。
3. 無関心と後悔の若き日々
10代の多感な時期を、日本という平和な国で過ごした。
やがて20代になり社会人となってからも、どこか浮ついた感覚のまま、日々をただこなすように生きていた。
世界では戦争やテロ、紛争が絶えないというニュースを目にしても、それは遠くの話で、自分とは無関係だと感じていた。
日本人であるという意識も誇りもなく、ただ利己的に生きていたと思う。
自分自身に自信が持てず、目標もなく、足元が定まらないふわついた毎日だった。
4. 違和感の蓄積と、30代の心の迷い
30代になり、少しだけ生活に余裕が出てきた頃、心の中で「このままでいいのか?」という問いが大きくなっていった。
これまで見聞きしてきた戦争体験の記憶が、歳を重ねるごとに心の中で存在感を増していた。
その正体が何なのか知りたくて、自己啓発本を読んだり、セミナーに参加したりもした。
けれど、どこにも辿り着けなかった。
「自分はなぜ生きているのか?」「なぜここにいるのか?」という問いが心の中でぐるぐると回るだけだった。
5. 一冊の本と知覧への旅が、人生の変化をもたらした
ある日、松永茂久さんの著書『人生に迷ったら知覧に行け』に出会った。
著者が特攻隊員だった祖父から受け取った言葉。
「知覧に答えがある」──そんな言葉に導かれるように、僕はひとり鹿児島の知覧へ向かった。
知覧特攻平和会館。
静かで厳かな空間に展示されていたのは、自分より若い多くの青年たちの笑顔の写真、そして遺書だった。
「なぜそこまでして?」という問いを突き抜けて、
彼らの言葉から感じ取ったのは、祖国や家族、愛する人への圧倒的な“愛”だった。
命の使い方とは何か。
その本質が、自分の中に流れ込んでくるような感覚があった。
当時は、その精神性を正面から受け止めきれず戸惑ったけれど、
今になって分かる。あの時から、何かが確かに変わり始めていた。
6. 学びが点から線へと繋がった瞬間
40代になり、「このままでいいのか?」という問いが、「このままじゃだめだ!」という核心に変わった。
15年間勤めた仕事を辞め、転職を決意。ただし、次の仕事は未定だった。
不安と焦りの中で、「今しかできないことをやろう」と歴史の学び直しを始めた。
書籍や映像を通して、なぜ戦争が起こり、どう終わったのか、
そして敗戦後、日本という国がどのように再編され、教育まで変えられていったのかを学んだ。
それは、これまでの常識とはまったく異なる視点だった。
知覧で見た青年たちの姿が、一本の線になって繋がるのを感じた。
過去を美化するのではなく、先人たちの思いや行動から「今をどう生きるか」を学ぶこと。
それこそが、学びの本質だと、心から思えた。
7. 40代、人生をリセットし、誇りを取り戻すための転職
仕事を手放すことで、自分を見つめ直し、自分を愛し、家族の笑顔を守る人生を選び直した。
僕の命は、先人たちが命をかけてつないでくれた未来の上に生きている。
そのことに気づけたことで、浮ついていた心が、まっすぐ立てたように思う。
ようやく、人生のスタート地点に立てた。
一歩ずつ、確かに歩を進めていこう。
8. 僕が気づいた誇りと、子どもたちへ繋ぎたい願い
この気づきは、あくまで僕というひとりの人間の生き方の話です。
考え方や感じ方は人の数だけあると、今では思えます。
それでも、自分の子どもたちには、誇りを持って、利他の心で堂々と生きてほしいと願っています。
ただし、押し付けてはいけない。
彼らが自分の足で歩き出せるように。
僕は、父として、日本人として、前を歩いていきます。
過去から学び、今を生き、未来へ誇りを繋いでいく。
それが、今の僕の願いです。
コメント