【Vol.2】「このままじゃ、自分じゃなくなる」——40代で職を手放した理由
はじめに
これは、2024年末。
40代の僕が、15年勤めた職場を辞めた時の話です。
一般的には「無謀」と言われるかもしれない転職でした。
資格も特別なスキルもない。家族もいる。それでも辞めた。
この体験をこうして言葉にするのは、
同じように迷い、踏み出せずにいる誰かの背中に、
“誰が為のエール”が届けばという想いからです。
15年勤めたコンビニ経営の現場で感じていた違和感
僕は長く、あるコンビニエンスストアのフランチャイズ経営会社で働いていました。
責任ある立場も任され、売上・人材・運営など、日々全力で向き合ってきました。
でもある時から、ふと立ち止まる瞬間が増えていきました。
「これは自分が本当にやりたいことなのか?」
「今の自分は、本当に家族の未来を支えていると言えるのか?」
積もり積もった“違和感”が、日々の生活の中で大きくなっていったのです。
決断の瞬間:「このままじゃ、自分じゃなくなる」
退職を決めた一番の理由は、
「このままでは、自分じゃなくなってしまう」という危機感でした。
40代。再就職は簡単ではない。
周囲には「我慢して続けるべきだ」という声もあったし、自分の中にも恐れがありました。
でも、今の自分がこれを我慢し続けたら、
未来の自分と家族の笑顔が見えなくなる気がしたんです。
このままでは、自分の命の使い方を間違えると、本気で思いました。
無職の時間がもたらしてくれた「気づき」
2025年の年明け。無職。
家族を不安にさせたくなかった。
でも、現実として僕は“何者でもない自分”になりました。
そんな中で、これまで見えていなかったものが、次々と目の前に現れました。
妻が毎日やってくれていた食事の準備、洗濯、掃除、子どもたちの送り迎え……
どれも「当たり前」じゃなかった。
僕は、生かされていたんだ。
「分かっていたつもりだった」と気づかされたとき、
情けなくて、ありがたくて、涙が出ました。
焦りと葛藤の中で、取り戻したい自分
何者でもない自分を、愛し続けてくれる家族。
その存在に感謝しながらも、焦りは募るばかりでした。
だからこそ、心と体の健康を立て直すことから始めました。
その中で出会ったのがグルテンフリー。
小麦を断つことで、自分自身と向き合う時間が増えていきました。
また、SNSを通じて、かねてから抱いていた日本の歴史への違和感とも向き合うようになり、
「本当の自分を生きたい」という気持ちが、確かなものへと変わっていったのです。
気づいた、自分の“使命”
心身を整える中で、
「僕は何のために働くのか」「何のために生きるのか」
その答えを探し続けました。
たどり着いたのは——
“愛する人たち全員の幸せを守ること”。
それが僕の使命であり、
「利他の心で生きる」という素志(そし)を胸に抱くようになりました。
新しい仕事との出会いと、今の誇り
縁あって、2025年7月から、夜間の現場作業員として働き始めました。
新幹線など、鉄道インフラを支える仕事です。
誰かの通勤・通学・帰省の“当たり前”を支える。
それがどれほど尊いことか、今は実感しています。
ようやく、自分の命の使い道に「意味」を見出せるようになってきました。
終わりに:「咲く場所は選べなくても、咲ける」
人生は、自分の思い通りにはなりません。
めがけた的に当たることよりも、当たらないことの方が多い。
でも、当たった先で自分の命を咲かせることは、できるんだと思います。
今日も、家族と同じテーブルを囲み食事ができること。
それは当たり前なんかじゃない。
今度は僕が、与えられた役割を誇りをもって果たしていく番です。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
もし今、何かに迷っている人がいたら、
「こんな生き方もある」と知ってもらえたら嬉しいです。
あなたにとっての“エール”になれますように。
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