笑われたって、信じた道を歩く
〜常識に縛られない生き方を選んだ僕の軌跡〜
「それって常識でしょ?」
そんな言葉に、何度も心が動揺した。
でも、いつも心のどこかで「それって本当に正しいの?」って問い返していた。
誰かに笑われても、僕は僕の道を歩きたい。そう思えるようになるまでの僕の話を、今日は綴りたいと思います。
学校教育と、最初の違和感
集団で適応することが良しとされる空気。
個性を出すと「浮く」と言われる空間。
右に倣えが正解で、それが「調和」だと教わった。
マイノリティとして認識されたとき、そこに待っていたのは「排除」だった。
僕はその中で恐怖を感じながら過ごしていた。
自分を抑え、正解を演じるようにして学校生活を終えた。
けれど、それは社会に出てからも続いていた。
夢もなく、目標もなく、自分を見失った20代
何者かになりたい。
でも、何者でもない自分を直視できず、時間だけが過ぎていった。
職には就かず、アルバイトで日々をやり過ごす中、
警察官なら人の役に立てると思って試験を受けた。
三度目の不合格を突きつけられたとき、
「僕は結局、何者にもなれない」と思った。
今振り返ると、そのときの僕は努力から逃げていた。
才能を“生まれ持ったギフト”だと勘違いしていた。
だからこそ、継続することに向き合えなかった。
そして、自分には何も無いと感じ、自分を愛することができなかった。
お金があれば、自分を愛せたのか?
生きていくにはお金が必要。
「お金さえあれば、僕は自分を肯定できたのかもしれない」
そんな風に考えていた時期もあった。
欲しいものを買っても、きっと心は満たされない。
全てを手に入れたあとに、
空っぽになった自分と出会うのではないかという恐怖があった。
母が生前こう言っていた。
「本当のお金持ちはね、自分が必要な時に、必要な分だけ入ってくるものなのよ。
金庫にぎっしりお金を貯めてる人は本物じゃない」
今ならわかる気がする。
“足るを知る”ということの、本当の意味が。
世間の「常識」に怯えていた僕
あくせく働いていないと、白い目で見られるのではないか。
そんな不安がいつもつきまとっていた。
けれど実際は、みんな自分のことで精一杯で、
誰も僕のことなんて見ていなかった。
僕の人生を、他人の目で測っていたのは、他でもない“僕自身”だった。
また母の言葉が浮かんだ。
「誰かの役に立ちなさい。誰かの気持ちになって考えなさい。それが“働く”ということよ」
今なら、心からそう思える。
命より大切な存在が教えてくれた、使命と幸せ
あなたには、大切な人がいますか?
誰も思い浮かばなければ、自分自身を思い出してください。
そして、あなたがそこにいることに命をかけてくれた存在を、思い出してください。
生きていれば、比較や排除の場面に出くわすことがあります。
でも、人は「生きているだけで素晴らしい」と信じたい。
誰もが、自分を愛し、誰かに愛されるべき存在です。
あなたを笑う人がいても、あなたを愛する人は決して笑いません。
だから僕は、笑われたって、信じた道を歩きます。
そして、あなたも、あなた自身と、あなたを愛する人のために、
心を開いて歩いてください。
常識なんて関係ない。
あなたの世界こそが、あなたの未来に続いているんです。
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