海外ドラマ挫折組の僕が、なぜ10年以上『ウォーキング・デッド』を見続けたのか ──日常にゾンビが溶け込む世界で、それでも生きる物語

ドラマ考察

序章:海外ドラマは長い。だから僕は、何度も降りてきた

海外ドラマは、長い。
物語は幾重にも枝分かれし、シーズンを重ねるごとに深く、複雑になっていく。
僕は、その深さに何度も挑み、そして何度も途中で降りてきた。
『LOST』も、『24』も、『BONES』も、面白かった。
けれど気づけば、どこかで手を止めてしまっていた。

そんな“海外ドラマ挫折組”の僕が、なぜか一つだけ、10年以上見続けている作品がある。
それが『ウォーキング・デッド』だ。

30代のはじめ、レンタルショップで一枚ずつ借りながら追いかけた物語は、いつの間にか僕の人生と並走するようになっていた。
シーズンを重ねるたびに、登場人物たちは傷つき、変わり、失い、それでも生き延びようとする。
その姿を、僕はやめどきを見つけられないまま、ずっと見守ってきた。

なぜ、やめなかったのだろう。

今でも、駅のホームでふと考えることがある。
もしここに“ウォーカー”が現れたらどうするだろう。
子どもを抱えて走れるだろうか。
どこに逃げ、何を武器にするだろうか。

それはただの妄想かもしれない。
けれど僕にとって『ウォーキング・デッド』は、単なるゾンビドラマではなかった。
崩壊した世界の中で、それでも生きることを選び続ける人間の物語だった。

海外ドラマを完走できない僕が、なぜこの作品だけは10年以上見続けているのか。
今日はその理由を、ゆっくりと紐解いてみたいと思う。

第一章:世界が壊れたのに、本人だけが知らないという残酷

物語は、銃撃戦から始まる。
保安官リック・グライムズは撃たれ、意識不明の重体となり、昏睡状態に陥る。
そして——彼が眠っている間に、世界は一変してしまう。

目覚めたとき、病院は廃墟になっている。
文明は崩壊し、人々は“ウォーカー”として徘徊している。
でも僕が心を鷲掴みにされたのは、ゾンビの存在そのものではなかった。

「最悪の瞬間を、本人だけが通過していない」
この設定が、秀逸すぎた。

世界が終わるという最大の事件を、リックだけが経験していない。
彼は何も知らないまま目覚め、知らないまま“もう元に戻らない世界”に放り出される。
不幸中の幸いなのか、幸い中の不幸なのか。
その曖昧な残酷さが、僕の胸を掴んで離さなかった。

第二章:ゾンビより先に、人間関係が爆発する

リックは、家族を信じた。
「きっと生きている。どこかに避難している」
世界が壊れても、まず“誰か”を探しにいく。
この作品は最初から、関係の物語だった。

ただ、ここがえげつない。
一方で家族は、リックが死んだと思い込んでいる。
そのすれ違いの中心に、シェーンという親友の存在が絡んでくる。

世界が終わった。
夫はもういないと思われている。
極限状態で、親友は家族を守る側に立つ。
その行動は裏切りなのか、生存本能なのか。
正義も善悪も、簡単に片付かない。

こうなると、もうゾンビは背景だ。
霞む。
のっけから、予想できない“人間の衝突”が始まる。
そして僕は悟る。
これはゾンビドラマじゃない。人間のドラマだ。

第三章:「何が起きるか」ではなく「どう生きるか」

この作品は、派手な出来事で驚かせるだけのドラマじゃない。
もちろんショックな展開は山ほどある。
でも僕が見続けた理由はそこではない。

『ウォーキング・デッド』の核心は、
「起きた出来事」よりも「起きたときの選択」にある。

誰を助けるのか。
どこまで信じるのか。
どこから先は守れないと線を引くのか。
その決断のたびに、人は少しずつ変わっていく。
表情が変わり、言葉が変わり、目の奥が変わる。

だから僕は、駅のホームで妄想する。
もしここにウォーカーが現れたら——と。
それは戦い方の想像ではなく、
守るべきものがある自分は、何を選ぶのかという問いに近い。

第四章:10年以上見続けた理由は、僕の生活側にあった

30代のはじめ、レンタルショップで借りていた頃の僕と、
今の僕は、同じじゃない。
仕事も生活も、守るものも変わった。

物語の中でも、共同体が生まれ、壊れ、また作り直される。
たぶん僕は、その繰り返しを見ていたかった。
生き延びるとは、
ただ呼吸を続けることじゃなく、
壊れた日常を作り直すことだから。

10年以上見続けたのは、作品の長さのせいじゃない。
僕の生活が、10年以上続いたからだ。
そしてその間、僕もまた、毎日を作り直してきた。

終章:日常にゾンビが溶けても、それでも生きる

『ウォーキング・デッド』は、終末を描いている。
でも僕が受け取ったのは、終末そのものではない。

終わった世界で、
それでも生きると決め続ける人間の物語。
その決意は、派手じゃない。
ひたすら地味で、泥臭くて、疲れる。
でも、だからこそ現実に似ている。

海外ドラマ挫折組の僕が、なぜ10年以上見続けたのか。
答えはたぶん、ここにある。
「それでも生きる」という選択を、何度も見届けたかった。


次回は、『ウォーキング・デッド』のストーリー全体像を、ネタバレ込みでざっくり整理しながら、
「出来事」よりも「人がどう変わったか」を軸に書いてみたい。

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